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阿蘇くじゅう・祖母山系イベント山開き情報

 投稿者:飯田ヒュッテ 西嶋  投稿日:2013年 3月13日(水)14時22分5秒
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  こんにちは。くじゅう連山の麓で登山者の宿「飯田ヒュッテ」を営んでいます西嶋と申します。
今シーズンの阿蘇くじゅう・祖母山系のイベント・山開き情報がわかりましたのでお知らせします。
4月22日 くじゅう開山祭 白口岳11:00~
4月29日 黒岳シャクナゲ祭 じろそ村キャンプ場 8:30~
4月29日 傾山山開き 山頂祭 11:30~
4月29日 阿蘇高岳山山開き
5月3日  祖母山山開き 山頂祭神事 11:30~
5月12日 由布岳山開き 正面登山口 8:30~
6月2日  くじゅう山開き 久住山 10:30~
情報はあくまでも予定です。詳しくは各地域の商工観光課や主催施設にお問い合わせください。

又、飯田ヒュッテでは6月の予約を開始しました。
特にミヤマキリシマの開花時期5月後半~6月前半は早めにお問い合わせください
詳しい宿情報は飯田ヒュッテHPをご覧ください。飯田ヒュッテ西嶋

http://handahyutte.ina-ka.com/

 
 

 投稿者:酔慶  投稿日:2012年12月 4日(火)20時10分22秒
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  久しく山に入っていない。大好きなのに。

大晦日から元旦にかけて越年登山とご来光
の話を聞いて、久しぶりに血が騒ぐ。

ふふふ、いい感じだ。

 

帰路でのアレコレ⑧-2/2  

 投稿者:Ryu  投稿日:2012年10月 2日(火)16時41分19秒
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   (続き)

 カイラの娘は、父親が久しぶりに家に帰ってきたのが嬉しくてたまらないのか、一時も父親の傍を離れようとしない。娘の兄がやってきたが、恥ずかしいのかすぐに出て行った。カイラの女房が笑顔で「ナマステ」といって入ってきたので、我々も「ナマステ」と挨拶した。彼女は愛嬌があって好感がもてるかんじだ。ヘッドランプをつけたカイラの弟が料理を盛ったお皿を持ってきた。贅肉のない立派な体格をしており、ふくらはぎの太さは私のそれの1.5倍くらいありそうだ。兄の力量に負けないくらいの優秀なシェルパに違いない。

 外が暗くなった。「美味な料理を灯りなしで食べるのはちょっとねえ・・・・・」と思っていたら、カイラがソーラーシステムの照明を持ってきた。日本人登山者のプレゼントだろう、照明には「FUJITSU]と書いてあった。電気の足りない生活にソーラーシステムの照明とは、なんとすばらしいプレゼントではないか。プレゼントした日本人は偉い。「アッパレ アッパレ」


 カイラは山地民族のタマンであり、彼の女房もタマンである。(ネパールの山地民族はタマン・グルン・タカリ・シェルパなどである)タマンは他の民族とは一切交流せず団結し、楽しみも悲しみも共有してお互いに助けあうのだ。(タマン以外の民族も同じではないだろうか?)カイラは隣人のことは全く知らないといった。日本では考えられないことだ。

 カイラが娘の試験の答案用紙を見せてくれた。全科目100点満点の90点以上であった。数学は98点でトップの成績である。カイラは娘の教育にお金がかかるが働き甲斐があるとニコリとした。(ガンバレ ガンバレ)私は英語の試験問題に挑戦したが、彼女ほどの点数がとれるか自信がなかった。
 明日はカイラの案内で観光、チョッピリ買い物をするかも。カイラの娘も来るとの事。
 おいしい夕食を堪能しました。「ダンニャバード」明日までさようなら。


 和食レストラン(「HANA(ハナ、はな、花)」でのアレコレ:

 KさんやAさんがカトマンドウに来たときには必ず食事する店。今回の登山前に足が棒になるほど歩いたが見つからなかった店。
 異国での和食レストランというのはどうもねえー、あと3,4日で日本に帰れるというのに日本食に飛びつくことはあるまいと思うのであるが、街中の食堂らしき店を見ると利用するのは不安になるのよね。(個人的な感想デス)安全・安心のためにはやっぱ和食レストランがエエ。

 「HANA]の日本人オーナーの〇〇さんは(名前を聞いたが忘れました)、ネパールの社会情勢や色々な分野にも知識が豊富である。ご飯も天ぷらも大変美味である。天ぷらの出来栄えもおつゆの味も日本のものと遜色ない。ここまで到達するのに大変な苦労と努力があったはずだ。サービスのナマズの天ぷらも美味だった。2回目の食事のときにはナマズのサシミをサービスしてくれたが、私には食べられなかった。〇〇℃以下で△△時間以上キープしたナマズは安全だそうだ。麺、麺、麺大好きの私がメニューのきつねうどんを見逃すはずがない。うどんもお汁も美味であったが、アブラゲは味も出来栄えもまだまだ発展途上だ。次回に期待しよう。



 
 

帰路でのアレコレ⑧-2/2

 投稿者:Ryu  投稿日:2012年10月 1日(月)17時40分52秒
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   4月30日~5月2日:カトマンドウ滞在

 タメル地区での買い物やカイラ宅(夕食に招かれて)でのアレコレ:

 カイラから我々を夕食に招待したいとの嬉しい誘いがあった。もちろん皆が快諾した。私は今回の登山でカイラに大変お世話になった上に夕食の招待を受けるなんて・・・・と大変恐縮したが、私は今後のKさんリーダーのヒマラヤ登山には特別の理由がないかぎり参加するつもりだし、Kさんは必ずカイラをサーダー(シェルパ頭)またはシェルパとして指名する(雇う)のは間違いないので、カイラとの親交を深めるのに良いチャンスだとも思った。

 昼間にカイラの案内でタメル地区に土産を買いに出かけた。大通りには車とオートバイ(オートバイの数が圧倒的に多い)で大混雑しており騒音がうるさい。道端で子連れの女の物、乞いが悲しそうな顔をして手を差し出してくるが、毅然として「フンダイナ」と言って先へ進む。十字路の手前で道路を横断しようとするが、途切れることのないオートバイや車で横断するのも命がけだ。交通信号は休止状態で警官が交通整理をしている。タメル地区に入ると車やオートバイは走っておらず、リクシャ(三輪自転車)が走っている程度である。

 Kさんは多数のキーホルダーやストラップ(?)とショルダーバッグを買ったようだ。そしてパルチャモ峰(無ければ他の山)の絵柄と文字の入った敷物が欲しくて店をハシゴするのだがどうしてもないのだ。最後の店で商談が成立したようだ。気にいったものを見つけたのか、妥協したのかわからないが・・・・・。私はタイトルが「ネパール」の写真本を1冊買った。1000ルピー(1000円)だった。

 夕方にタクシーでカイラ宅に向かった。到着までの乗車時間は30分くらいだったと思うが、とても長く感じた。オンボロの軽自動車の中は狭く、未舗装の幅の狭い石ゴロゴロのクネクネ道を走ったのが原因だと思う。
 カトマンドウは計画停電中である。外はまだ明るいが建物の中はかなり暗く、2階への階段を恐る恐る上がった。通された部屋の中には2つのベッドがあり、ベッド間にテーブルとイスが各1つ置かれていた。

 〇〇ビアで乾杯。冷たいのが嬉しいよね。味は日本のビアと同じで美味い。やがてお皿に盛った料理(野菜を炒めたものが多かったように思う)が出てきて、料理が無くなる頃にタイムリーに次の料理が出てきた。料理はどれもこれも抜群に美味い。料理を食べてビアを「グビグビ」飲む。カイラはシェルパ(ガイド)の前にコックをしていたので料理の腕は確かだ。
 カイラの娘(日本の小学校5年生くらいの年齢かな?)が料理を盛ったお皿を持ってきて我々の傍に座り、神聖な右手の親指、人差し指、中指を使って食べ始めた。私は飲み食いをストップして、実にリズミカルで優雅な彼女の指の動きを見ていたら、カイラが私を見て「エンリョ シテイマセンカ」と聞いてきた。                                                                                   (続く)

 

帰路でのアレコレ⑧-1/2

 投稿者:Ryu  投稿日:2012年 9月29日(土)22時41分1秒
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   4月30日~5月2日:カトマンドウ滞在

 カトマンドウ→ルクラ便の遅延があったけれども、登山日程の変更がなかったのはラッキーであった。予備日3日がまるまる残り、カトマンドウ滞在が3日となった。「ゆっくりと買い物や観光ができていいよね」

「ホテツ・マナスル」でのアレコレ:

 ホテルの食事はバイキング式の朝食だけがついている。朝食のパンはルクラのエアーポート近くのコーヒーショップで食べたパンと同様、パサパサ感で美味くない。パンの代わりに焼きそばや焼飯があればよかったのだが・・・・・。男3人は2階の3人部屋、紅一点のNさんは2階〇人部屋だ。Nさんの部屋は広くてきれいらしい。
 我々の部屋はシャワーのみでバスタブがない。Kさんはバスタブがないと困ると言って、素早くフロント係と交渉してバスタブのある部屋に移った。Aさんも別の部屋に移った。「シャワーだけでは登山の疲れがとれないよね。バスタブに浸かり手足をのばしてゆっくりしたいよね」私1人になった部屋は広すぎて落ち着かない。真ん中のベッドで寝て、左右のベッドを物置として使った。Tシャツ、靴下やパンツを洗濯して部屋のあちこちに干した。

 鏡に映った自分の身体を見てギョッとした。胸は薄くなり大腿筋は細り、まるで別人のようであった。(帰国後の体重は出発前の5Kg減であった)元に戻るまでに最低1ヶ月はかかるだろう。

 洗面所の蛇口を捻ると透明な水が豊富にでてきたが、この水を一滴でも腹の中や目の中にいれてはいけない・・・・・と、洗顔や歯磨きにはミネラルウオーターを使った。ミネラルウオーターはホテルから徒歩5分の「ビッグマート」で買うことができたが大変不便であった。でも安心安全のためにはしかたがなかった。

「ビッグマート」でのアレコレ:

 「ビッグマート」ではワタルボタル(水筒)とミネラルウオーターを買った。この店は商品に値札がついており安心して買い物ができた。(私が経験した範囲では、ネパールでは食べ物や飲み物以外の商品には値札がついておらず、売り手の言い値が定価だった)買い物袋を手に持ち、再度店の中に入ろうとしたら警備員に止められた。「ナンダ ナンダ???」警備員が指差す方を見ると、入口の横に買い物一時保管用ボックスが並んでいた。成程、買い物袋を持って入るなと言ってるのか。「これは警備員目視チェック型の万引き防止システムかあ」レジ係は皆若い女性である。とびきりの美人が2人もいたのが嬉しい。

 

帰路でのアレコレ⑦

 投稿者:Ryu  投稿日:2012年 9月28日(金)13時07分41秒
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   4月29日:ルクラ→カトマンドウ

 ルクラでも熟睡できなかった。熟睡できたのは帰路でのターメ村の1回ポッキリである。私の場合はタタミの上でないとよく眠れないようで、次回から睡眠剤を有効に使ってみようと思う。ここのベッドは、寝返りするとギシギシ音とユサユサ揺れるかんじだ。テンポカルカ、ターメ、ナムチェ・バザール、パクデインのベッドも粗末だったが、ルクラのベッドが「ザ ワースト ワン」だね。(揶揄するつもりは全くない。高所にあるロッジのベッドなので仕方がないと思っている)

 目が覚めると天井が揺れている。「すわー 高山病の後遺症か・・・」と、少し焦るが直ぐに治ったのでホッとした。原因は昨晩のロキシーか?、はたまたギシギシ、ユサユサのベッドか?

 私のバッグを空港まで運ぶためにラム君が部屋にやってきた。「スマヌ スマヌ」、「マダ パッキングガ デキテーヘン」ラム君は少し不機嫌な顔をして部屋を出ていった。急いでパッキングを終え、バッグを部屋の外に出すとキタブが立っていた。私のバッグが出てくるのを今か今かと待ってくれたのだ。「スマヌ スマヌ」ラム君が少し不機嫌な顔をしたのは、彼はバッグを空港まで運んだ後にすぐに家に帰る予定なのに、私がモタモタしたことで帰るのが遅れるのは困ると言いたかったのではないか?

 ルクラ発8:00のフライトである。ネパールの国内線は遅延や欠航が多々あるが、欠航はヤメテ、遅延は我慢するから今日中にカトマンドウに飛んで・・・・。
 空港に向う。天気もよく、飛行機の「ブーン」という音が聞こえてきたのが嬉しい。ピストン輸送が始まっているのだ。搭乗ロビーに入ると1番機(?)が飛び上がった。次の便に確実に搭乗できるが、飛行機を待っている間も度々、空港の上空に雲が出てきていないかを確認する。「ホンマニ シンケイガ ツカレルワ」

 私は最後尾のシートに座った。離陸直前にスチュワーデスが私の横のシートに座ったので多少ドキドキした。ルクラへ来たときと同じスチュワーデスだった。飛行機が500m滑走してから離陸した。離陸してホッとしたのは私だけではあるまい。こんな小さな飛行機(双発のプロペラ機で乗客15人乗り)でわずか40分足らずのフライトなのに、ちゃんとスチュワーデスが乗っている。彼女は何をするわけでもない。スチュワーデスの添乗はおそらく規則なのだろうが、この律儀さがわからない。

 小さな飛行機に乗るのはどうも気持ちが悪い。水平飛行中に気流にたたかれ機体がガタガタと振動したときには冷や汗がでた。右に進路変更するために機体を右に傾けたときには墜落するのでは・・・と、再ひ冷や汗がでた。空港にはスムーズに着陸した。「お上手 お上手」

 空港には「コスモトレック」の車が迎えにきていた。
 「コスモトレック」の事務所に大津社長はまだ出社していなかった。しばらく待っていると社長がご主人と一緒に重役出勤してきた。社長から「別のパルチャモ峰アタック隊の1人が凍傷で手の指を切断した」と聞き、1秒たりとも止まぬ強風の中に身を置いた私の経験から、他人事ではないと強く思った。

 私は酸素ボンベ代 〇2000円を支払った。支払った後で〇2000円でネパールの国民食「ダル・バートが何10人分食べられるか?」、「ヤクの毛で編んだ手袋が何10買えるか?」なんて考える私はバカですね。

 コスモトレックの車で登山前にも利用した「ホテル・マナウス」に向った。





 

帰路でのアレコレ⑥

 投稿者:Ryu  投稿日:2012年 9月27日(木)11時03分24秒
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   4月28日:パクデインからルクラへは淡々と歩を進めた。アーチ状の門を抜けルクラのメイン通りに入る。道端でラバがほとんど生えていない草を食べている。17日ぶりにルクラに帰ってきた。今日の宿は往路で出発準備のために利用したロッジだった。

 私はカイラの案内で床屋へ髭剃りに行った。床屋はロッジから徒歩5分くらいのメイン通りにあった。鼻から下が真っ黒に日焼けして無精髭の顔はどう見てもみっともない。この面で日本に帰れない。(日本からシェーバーを持ってきたのだが、スイッチをオンしてもウンともスンともいわないのだ)床屋の腕は大丈夫だろうな・・・・・と思っていると突然、顔中に大量のシェービングクリーム(?)を塗られた。「ソコマデ ヌラナクテモ」無事に髭剃りが終わるとシャンプーはどうかと聞くので、「パルダイナ」と断って外に出た。若い美人の女性だったらシャンプーをお願いしたかも(笑)。髭剃り代は300ルピー(300円)であった。

 床屋を出てからロッジに帰ろうとしたが道に迷ってしまった。ロッジの方角はわかっているのだが、メイン通りからロッジに続く道に入る場所がわからないのだ。昼間だし何も心配はないのだが情けない自分に腹が立つ。(バカモノ シッカリセエ)気分転換にエアーポート方面を散策する。

 Kさんに誘われてエアーポート近くのコーヒーショップに入った。〇〇コーヒーを注文しパンも買って食べる。パンはパサパサ感があり、噛めば噛むほどパサパサ感が増してきた。やっぱ日本のパンがはるかに美味いわ!!コーヒーショップを出てロッジに向ってブラブラ歩く。エアーポートの北側の広場で、中高年と思われる女性がハンマーで石をコツコツ叩いている。建設に使う石を整形しているのだろうか?彼女は来る日も来る日も同じ作業をしているのだろうか?収入はいくらだろうか?・・・・・と考えてしまった。 また、パクデインで重い荷(8本の木材)を運んでいた2人の少年のことを想い出した。辛いねえ!!!

 カイラにカメラとレンズを持ってもらったお礼として、3000ルピー(3000円)とピタリと止まったインド製の下痢止め薬代として1000ルピー(1000円)渡した。本当に助かりました、感謝感謝です。また、ゴアの雨具上下、サングラスおよびルクラで買って1回も使っていない雨傘をラム君へのプレゼントですと渡した。(後日、こちらが一方的に押付けたようなプレゼントは有難迷惑でないのかと考え、プレゼントしたことを多少後悔し、私に傲りがあったと反省した)

 麺、麺、麺、麺大好きの私は、焼きそばをメインデイツシュ(寂しいと思われるかもしれませんが、高所のロッジでの食事なのだから仕方がないのだ)にしてきたが、今日の夕食はヤク・ステーキにした。ヤクステーキを注文したのは私だけだった。ビールを「グビグビ」飲みたいところだが、カトマンドウまで禁酒が我々のルールなのだ。ここはグッと我慢した。

 カイラがヤク・ステーキを持ってきた。「ド・ドーン」というかんじで真っ黒い骨付き肉がお皿の真ん中に載っている。猛烈に固い(多少オーバー表現です)。私の歯は比較的丈夫であると思っているが、歯が割れたり欠けたりして歯医者通いになってはいけない(笑)ので噛み砕くのをやめ、周りを少しずつかじった。あのごついヤク(写真でしか見ていない)の肉だから固いのも当然だ。年とって使い物にならなくなったヤクを食用にしているのだろう。

 夕食後は皆で暖かいストーブのまわりに座って談笑する。ロッジのお父さん、お母さん、娘やかわいい女の子の孫も一緒だ。私の左側に座っている女の子を「かわいいね」と言って、不浄の左手で頭を「ナデナデ」してはいけない。カイラがカウンターの奥から1本のボトルを持ってきた。「ははん、ロキシー(ネパールの地酒)だ」カトマンドウまでは禁酒のルールを破って皆でロキシーを飲んだ。美味いと思わないし明日はカトマドウへのフライトがあるので、私は小さいグラス一杯だけ飲んだ。


 

Re: Ryu さん連載ありがとうございましたす

 投稿者:Ryu  投稿日:2012年 9月25日(火)19時51分2秒
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  kakutyandesさんへのお返事です。

わかりました。少し休んでいましたが、次は「帰路でのアレコレ⑥ルクラのロッジにて」からです。
いつも投稿を読んでいただいて感謝しています。

> 日本までの続きをお願いします。Kさん今年はロ-マンタンへ来月末より20日ほど出かけます。来年私でも行けるような所であればお誘いください。お願いします。
 

Ryu さん連載ありがとうございましたす

 投稿者:kakutyandes  投稿日:2012年 9月25日(火)19時27分50秒
返信・引用
  日本までの続きをお願いします。Kさん今年はロ-マンタンへ来月末より20日ほど出かけます。来年私でも行けるような所であればお誘いください。お願いします。  

帰路でのアレコレ⑤

 投稿者:Ryu  投稿日:2012年 9月20日(木)11時55分26秒
返信・引用
  (続き)

 パクデインでは往路と同じロッジに宿泊。ロッジ裏の畑地に3頭のドプキョがいた。
明日、我々の荷物をルクラまで運んでくれるドプキョだろう。

 翌朝にいつものように散歩に出た。ロッジ前で2人の少年ポーター(1人はまだ幼いではないか)を見て唖然とした。荷(8本の木材)を石畳に預けて一息入れているところだった。彼らにとって荷運びはとても重たく、辛いだろう。彼らがかわいそうで見ていられないので、荷運びする前にロッジに入った。

 ネパールでは遊べるのは4、5歳ぐらいまでだとなにかの本で読んだ。彼らは一家の働き手として家計を助けるのが当然だと思っているに違いない。泣き言はないのだ。

 ロッジを出発する前にドプキョの背に荷物を縛りつけるのを見ていると、飼い主がドプキョの背に荷を載せようとすると嫌がって逃げるので、ラム君が角をしっかりと掴むと観念したようだった。
 

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